“では、ストレスを発散するコツはあるのだろうか?

「とにかく“自分のための時間”を定期的に作ること。短い時間でも良いので、自分の趣味やスポーツなど、100%自分のために費やせる時間を確保しましょう。逆にいくら休みがあっても、ずっと寝ていたり、家事に追われたりではストレスは解消できません。それらを削ってでも、自分が楽しめることに没頭する時間を意識的に作ることがポイント。長さに関わらず、“自分のために時間を使えた”という実感が重要です」”

「ストレス耐性」強い人の共通点は (web R25) - Yahoo!ニュース (via eternityscape)

出典: Yahoo! Japan



シカゴ大学の行動経済学者Richard Thaler氏は、次のような問いを設定した。

映画を見に行こうとして、10ドルの前売りチケットを買いました。ところが、劇場に入ろうとして、あなたは自分がチケットをなくしたことに気付きました。(予約席ではなく、払い戻しはできません。)あなたは、もう一度10ドルを払って映画のチケットを買いますか?

この問いに対して「イエス」(もう一度買う)と答えた人は46%にすぎなかった。一方、次の似たような問題では、全く別の反応が見られた。

料金が1人10ドルの映画館に、映画を観に行きました。劇場でチケットを買おうとした時、あなたは自分が10ドル紙幣をなくしたことに気付きました。あなたは、10ドルを払って映画のチケットを買いますか?

こちらの質問では、88%の人が映画のチケットを購入すると答えた。どちらの例でも「失った金額」は同じなのにだ。この劇的な違いは何に由来するのだろうか。

Thaler氏は次のように説明する。映画を観に行くという行為は通常、チケット代というコストと引き換えに映画を観る体験を手に入れる、ひとつの取引だとみなされている。チケットを再度購入すると、チケット1枚に20ドルの「コスト」がかかることになり、映画の料金としては割高に感じられる。これに対し、10ドルの現金をなくすことは映画の「メンタル・アカウンティング」には含まれていない。このため、映画代としてもう10ドル出すことは苦にならない、と。

[メンタル・アカウンティング(mental accounting、心の会計)とは、Thaler氏によって提唱された概念。人は、同じ金銭であっても、その入手方法や使途に応じて、(時に無意識に)重要度を分類し、扱い方を変えていること]

脳がメンタル・アカウンティングを行なうために、われわれは同じ金額でも扱いを大きく変える。上の実験では、2つの互いに矛盾した判断が行なわれたわけだが、これは古典派経済学の重要な原則に反している。つまり、「1ドルはつねに1ドルの価値を持つ」という前提だ。

Thaler氏の別の実験では、「価格15ドルの計算機を5ドル安く買えるなら、車で20分遠回りをしますか?」という質問が行なわれ、回答者の 68%がイエスと答えた。これに対し、「価格125ドルの革のジャケットを5ドル安く買えるなら、車で20分遠回りしますか?」との問いに、イエスと答えた人はわずか29%だった。つまり、大きな買い物においては小さな金額は重要とは思えず、絶対的な金額(5ドル)よりも、メンタル・アカウンティングのほうが、判断にとって重要だったわけだ。

この原則を当てはめれば、なぜカーディーラーが要りもしない付属品をあれこれ付けて車を売ることができるのか、なぜわれわれが高額な電子製品を買うとき、要りもしない保証書にまんまとお金を払わされることが多いのか、その理由を説明できる。

また、ホテルにおける高額なインターネット接続にも説明がつく。もともと宿泊料が高いホテルでは、シリアルやWiFiにも馬鹿げたほどの値段を付けることができるのだ。メンタル・アカウンティングでは、これらはまとめて「ホテル料金」とされる結果、これらの料金もそれほどクレイジーには見えないからだ。(一方で、安いホテルでは無料でネット接続や朝食ビュッフェが提供されることが多いことも、同様に説明できるだろう。ホテル代金が安いのに、よりたくさんのサービスを無料で得られるわけだ。)

心の会計:人はなぜお金を非合理的に使うのか | WIRED VISION (via rpm99)

出典: rpm99




“「たまには童心に返りたい」と言って駄菓子屋に入った友人が何のためらいもなく「これと、これと、あとこれも。ぜんぶ箱ごとください」という具合にマイケル買いをした挙句、店員のおばちゃんに「ここクレカ使えます?」という大人な質問をぶつけていたのを見て、こいつ童心に返る気ゼロだなと思った。”

Twitter / @さとる (via chihanos)

出典: twitter.com




このクニマス再発見のニュースは、さかなクンさんが絡んでなかったら一般紙にちょろっと取り上げられる程度の地味な話で終わったんだろうけど、この事例ってたぶん魚が本当に好きな人なら、その人が「丁寧な科学者」かその素質がある人であれば発見できたかもしれないところに自分はすごく夢を感じる。そう、極論すれば小学生であってもできたことだって信じてる。

だから、もしまだちっちゃい子が身の回りにいたらさ、「顕微鏡観察のスケッチとか、バカにしないで、むしろ同級生にバカにされてもいいからとにかく一生懸命気付いたこととか面白いと思ったことを記録すんだよ。ミカヅキモは三日月型っていう他にも気付くこといっぱいあるはずだよ。誰かが気付いて本に書いてあることでも、自分で気付いたことが力になるんだ」って言いたい。日常で見つけるのは逆に難しいって時は、とりあえず是非近くの動物園や水族館や植物園に行ってみて欲しい(最初から飛行機に乗って旭山や美ら海にまで行く必要はないからね)。ライオンもペンギンもイルカもテレビや図鑑で見たことあるだろうけど、一度冷静に初めてみた気分になって1時間くらいずっと同じ生き物を見てみて欲しい。できれば違う日にも見てみて。生き物の多様性という豊穣さが、世界はまだまだ見つけるに値するもの、驚くに値するものをいっぱいいっぱい持ってるんだ。

ギョギョー!「クニマス絶滅してなかった!」の何が凄いの? - 紺色のひと (via newroussan)

出典: newroussan


“「なぜオタップルは付き合ってる相手を「相方」と呼ぶのか」問題なー。あれが聴いてて何か引っ掛かるのって、自分と相方をステージに置いて、それを観測する第三者が居る、という世界観を前提にした喋りだからなんじゃないかなーと思っていて、そこに気持ち悪さは当然あるんだけど、他者からの視線に対するあらかじめの過剰さっていまどきさほど不当ともいえないかんじだし…”

2012-03-31 - matakimika@d.hatena (via otsune)

出典: d.hatena.ne.jp


新入社員が退職した。
入社してわずか10日。

「この会社は自分に合わないと感じた」というのが退職理由。
あまりにも漠然とした理由なので、具体的になにがどう合わないと感じたのか尋ねてみた。
すると。
「販売はアルバイトの延長のような仕事。ずっと続けていく気にならないし、自分に向かない」とのことだった。

当社では、2週間の新入社員研修期間中に売場での販売実習を数日行なう。
講義とロールプレイングで学んだ接客応対技術を、実際に売場で体験するのが目的だ。
その実習の結果、新入社員のKさんは「自分に合わない」と思ったそうだ。
辞めてどうするのか、Kさんに聞いてみた。
「公務員を目指します。」

まただ。採用や研修を担当していると、毎年必ずこういう若者と遭遇する。
「安定していて、楽そうだから」という、かつての私と同じ発想。

いや、決めつけるのはよくない。公務員(地方上級とのことだった)を目指す、彼なりの確固たる理由があるのかもしれない。

「公務員になりたいのは、なぜ?」
「地域の人たちに貢献したいからです。」
「地域の人に貢献というと、具体的にはどういうことをしたいの?」
「・・・市役所の窓口で、住民の相談に乗ったりとか・・・」
「ヨドバシカメラの店でお客様の相談に乗るのはアルバイトの延長にすぎないと思うのに、市役所で住民の相談に乗るのはやりがいがあると思うんだね。それはどうして?」
「・・・いや、その・・・民間とは違う、というか・・・」

ああ、やっぱり。「安定」「楽そう」公務員志望シンドロームだ。
その発想が悪いとは言わない。
しかし、それだけでは信念を持って公務員を目指している人たちとの選考で勝ち残るのは難しい。
また、仮に公務員になれたとしても、決して幸せにはなれない。

残念ながら、Kさんに当社での仕事を続ける気はないようだったので、慰留は諦めた。
しかし、わずか10日とはいえ同じ会社で勤めた仲間である。不幸にはなってほしくない。
Kさんには迷惑だったかもしれないが、私なりの「働いて幸せ」という状態を実現するための考え方を伝えることにした。

「Kさん。君はゲームが好きだったね。」
「え?あ、まぁ、好きですね。」
「対戦ゲームは好きかい?ガンダムエクストリームバーサスとかさ。」
「好きですよ。けっこうやってます。」
「そうか。アレはおもしろいよな。僕も好きでね。いい年してゲーマーなんて恥ずかしいけど。」

なんの話なのかといぶかしげなKさんだったが、私はかまわずゲームの話を続けた。
対戦ゲームのおもしろさについてお互いにしばらく語り合ったあと、本題に入った。

「ところでKさん、ガンダムEXVSを初めてプレイする人が、対戦プレイで君に勝てるかな?」
「いやぁ、それはムリでしょう。僕、けっこう強いですよ。」
「そうか。じゃあ、初心者だとあっという間に君に負かされてしまうだろうね。」
「そうでしょうね。」
「じゃあ、質問。手も足も出せずにキミに負けた初心者くんが『ガンダムエクストリームバーサスなんてつまらない!クソゲーだ!』と言ったとしたら、Kさんはどう思う?」
「それはおかしいでしょ。ゲームがつまらないんじゃなくて、自分がヘタなだけじゃないですか。」
「そうだよな。楽しさを理解するには練習と経験が必要だよな。ちょっとやってみただけで『つまらない』とか『自分には向いていない』っていうのは、早すぎるよな。」

Kさんの表情が変わってきた。
伝わっただろうか?楽しく、幸せになるには努力や我慢も必要なのだということが。
実感できただろうか?物事の本質を理解するには、長い時間が必要なのだということが。

気のせいかもしれないが、Kさんの雰囲気が変わった気がした。
オドオドしたところが消え、目から意志が感じられるようになった。
「Kさん。社会人の時間は長い。22歳で入社して、定年は60歳。約40年もの年月だ。
つまり社会人にとって入社後の10年は、大学で言えば1年生に相当する。
たとえば大学の野球部に入部したとして、1年生のうちは球拾いやグラウンド整備、筋トレなど地味なことばかりだろう。
楽しいどころか、むしろツラいだろうね。でも、彼らは野球部を辞めない。なぜだろう?」
「・・・野球が好きだから、ですか?」

「そうだろうね。野球が好きで、うまくなりたい!という情熱がある部員は、そのつらさの向こうに自分の成長があることをイメージする。
だから乗り越えられる。逆に、なんとなく野球部に入った人はとても耐えられない。
『野球つまんね。サッカー部に行こ。』と思ってしまう。」

「・・・」

「そうやってサッカー部に移った一年生を待っているのは、やっぱり筋トレや100メートルダッシュなどの地味な練習だ。
サッカーに対する情熱がない人は『サッカーもつまんね』と思って転部する。
その後は似たり寄ったりだ。
テニス部では素振りに嫌気がさし、バスケ部ではハードさに耐えかね、吹奏楽部では音を出すのに一苦労、マンガ研究会に入ってもいきなり絵が描けるようになるわけじゃないし、演劇部では発声練習ばかり・・・すべて同じだ。
最初からいきなり上手にできたり、楽しいなんてことは滅多にない。
本当の楽しさにたどり着くには、努力と情熱が必要だ。
転職を繰り返す人は、これと同じ。楽しさにたどり着く前に職を変えてしまうから、幸せになれない。」

「・・・僕が、そうなると?」

「それはわからない。ただ、公務員を目指す理由がさっきの答えのレベルだとすると、幸せにたどり着く可能性は低いぞ。
大切な人生だ。自分がどんな職につくべきかを、もっと真剣に考えたほうがいいと思うよ。」

「・・・わかりました。ありがとうございます。」


Kさんが、どんな気持ちで私の話を聞いたのかはわからない。
「こいつウゼぇ。」と思っていたかもしれない。
しかし、相談を終え退職届を提出して去っていく時の彼は、それまでと違って後ろ向きな逃避ではない、前を向いて一歩踏み出そうとする者の顔をしていた。


————————————
就職活動サイトに掲載するエピソードとしては、シビアすぎる内容だと思います。
当社を志望する人が減ってしまうかもしれません。
それでも、就職活動中の学生の皆さんに伝えるべき内容だと考えました。
皆さんにとって「職に就く」ということを考える上での参考になれば、幸いです。


株式会社ヨドバシカメラ
採用チーム 山下敬史

株式会社ヨドバシカメラ の人事ブログ:新入社員が退職した。(前編)| 【就活ならリクナビ2015】新卒・既卒の就職活動・採用情報サイト (via kir1ca)

出典: kir1ca



今年の春のことだ。長男も幼稚園の最終学年に進級し、渡された年間行事表にはさまざまなイベント計画が記されていた。子供も親も大忙し。ましてや担任の先生の大変さも。そんなことをぼんやりと考えながら懇談会から帰ろうとしていると、とある母親グループから声をかけられた。

「ねえ、担任の先生、ポンだって知ってた?」

まったくの意味不明な用語! 聞いてみると、「ポン」とは妊娠したことらしいのだ。「腹ポン」とも言うらしい。最初からそういってもらえれば予想もできただろうに。いや、わざわざそんな名前で呼ぶこと自体おかしいのだが。それは幼稚園という教育機関での“事件”なのであり、割合は定かではないが、よく思わない母親たちがいるのである。

 その母親たちの言葉は、まず、通常行われるべき保育活動を自分の子供が受けることができるだろうかという心配である。

「年長(最終学年)の担任が途中で交代されたら子供がかわいそうだ。」
「体調不良で突然休まれたりしたら困る。」
「体操や外遊びなど、体を動かすような時間に耐えられるのだろうか?」

 まあ、ここまでは許すとしよう。副担任という立場の先生もいることだから、無理がある場合は代わってもらえるだろう。しかし、ここは話し好きの皆さんである。次第に先生が許せないという話に変わってくるのだ。

「昨年結婚したのだから、どうして今年、担任を任せたのかしら? 妊娠するリスクは考えなかったのかしら?」
「どうして(幼稚園は)結婚した時点で辞めさせなかったのかしら?」
「結婚しても仕事を続けたいのだったら、どうして妊娠してしまったのかしら?」
「子供たちを預かっているという自覚がないのよ。先生であるという自覚がないのよ。」

 ここまでくると、企業のオヤジたちが女性社員に言い放つ言葉と同じなのだ。そう、幼稚園の経営者とは実際の経営者と、そして母親たちなのだ。母親たちというのは、発言権がある。幼稚園側は母親たちの意見を尊重する。私立であるからか、評判が悪くなることを恐れている。だから権利を保障されている母親たちは声を荒げてこう言うのだ。

「出産を選ぶなら辞めなさいよ。担任を続けるなら堕ろしなさいよ!」

 それからの出来事といえば、予想通り。母親たちは電話や手紙などで不満を訴え続けた。園長に直接言いに行った母親もいたらしい。そんなすったもんだの末、1学期終了の日に突然、担任の先生が退職することが文書で伝えられた。文書には「子育てに専念するために退職」と書いてあったが、もちろんそんなことは嘘だろう。本当に子育てに専念できるといううれしさの中にあるなら、泣きはらしたような目で子供たちを送り出したりしないだろう。お迎え組みのある母親が子供を引き取りながら声をかける。

「今までありがとうございました。お体大切に~。」

 担任は「ありがとうございました」と頭を下げたが、言葉の最後が声にならない。当然、笑ってもいない。涙をこらえる彼女を見たら、これが悔しさでなくてなんだろうと思う。きっと彼女はどの母親が意見を言ったのかを知っているだろう。でも、そんな母親たちにも頭を下げるのだ。担任を追い出すことに成功し、白々しくねぎらいの言葉をかける母親にだ。

「先生は子供を産んで育てるためにこの学園を辞めます」

と子供たちに説明した。幼稚園が子供たちに“女は妊娠したら仕事を辞めるものだ”と教えてしまった。そして、ありがとうの言葉と共に、拍手をおくったのだ。退職に追い込まれた彼女に拍手ということだ!

 この幼稚園には育児休業取得の実績があるが、幼稚園側は母親たちの非難から彼女を守りきれなかった。私立幼稚園の高額な授業料を支払えるくらいに余裕があり、時期にかかわらず自由に子供を産むことができた女たちが、これからお金も必要で、仕事を続けたいと考えていた彼女を突き落とした。私は自由もでいいけど、あなたはだめよと。

 この一件で、思い出したことがあった。中学のころ、ある女性教師が妊娠し子育てに専念するために退職したことだ。全体集会でそんなことを説明され、彼女は言葉につまりながらも涙を流しながら頭を下げた。それほど幸せそうな感じはしていなかった。部活の担当の先生だったから、「しばらく離れるのが寂しいから」だとみんなが思っていた。私たちはまた戻ってくるものだと思ったから、みんなで「また戻ってきてください」と花束を渡した。先生は、「もう、戻ってくることはないの」と言った。そのころは、妊娠と退職の意味を知らなかった。誰かが教師を続けさせることを阻んだのだろう。この先生も、きっと悔しかったのだと思う。今更だけど。

いまさら気づいたこと|職業婦人の生きる道 坂戸恵美 (via rajendra)

出典: rajendra


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